第九十回
ジャズ・バラードの名品を聴く

2025.07.01

文/岡崎 正通

“バラードを演奏すると、ジャズ・ミュージシャンの本当の実力がわかる”とは、昔からよく言われてきたことである。スロー・テンポだけに、いっさいのごまかしがきかなくて、プレイヤーの内面のすべてが現れるバラード演奏。すでに古典になっているジョン・コルトレーンの「バラード」をはじめ、♯37で紹介したマイケル・ブレッカー「ニアネス・オブ・ユー~ザ・バラード・ブック」などは不朽の価値をもった名盤であるが、今月はほかにも星の数ほどあるバラードの名盤の中から、とくに筆者が愛してやまない3枚の作品を選んでみた。

♯292 エモーショナルに訴えかけてくるシェップのバラード作品

トゥルー・バラード/アーチー・シェップ・カルテット

「トゥルー・バラード/アーチー・シェップ・カルテット」
(ヴィーナスレコード SACD ⇒ VHGD-7, LP ⇒ VHJD-269)

いきなり飛び出してくる分厚いサックスのトーンに惹きつけられるアーチー・シェップ1996年の録音盤。ジョン・コルトレーンの衣鉢を正統に受け継ぎながら独自の個性を発揮していったアーチー・シェップ。60才を迎える頃に、あらためてバラード演奏にアプローチしたアルバムが「トゥルー・バラード」である。

かつての攻撃的なスタイルの片鱗を感じさせながら、ダーティなトーンをまじえてエモーショナルに訴えかけてくるシェップの演奏。その肉体と一体になったような“叫び”とともに展開されるアドリブは、メロディックでありながらも奔放で力強い。ときに感情をむき出しにするようなフレーズで迫るシェップ。コルトレーンの名演でも知られる<コートにすみれを>(Violets for Your Furs)などのほかに、コンチネンタル・タンゴの名曲<ラ・ロジータ>や、ベナード・アイグナーが書いた秘曲<エヴリシング・マスト・チェンジ>など、幅広いレパートリー。そんなシェップのプレイを、ピアノのジョン・ヒックス以下、やはりベテランばかりのリズム・セクションが美しいサポートをおこなってみせる。シェップの息遣いやゴリゴリしたテナー・トーンの魅力を完璧にとらえきった録音も素晴らしい。CDもあるが、いっそうのリアリティをもつSACDやアナログLPで味わいたい。

♯293 哀愁のキューバン・バラード・アルバム

ノクターン/チャーリー・ヘイデン

「ノクターン/チャーリー・ヘイデン」
(Verve ⇒ ユニバーサルミュージック UCCU-46041)

ベーシストのチャーリー・ヘイデンがピアニスト、ゴンザロ・ルバルカバらと2000年に吹き込んだ「ノクターン」は、単なるジャズのバラード・アルバムではない。キューバやメキシコに伝わるトラッドなメロディー、平たく言えばラテンの魅力的なナンバーを選んで、こよなくロマンティックな響きで奏でてゆく。スロー・ルンバのリズムを使った演奏も含まれていて、ラテン音楽のむせかえるような情熱と哀感が心地よく広がってゆく。

大きく包み込んでゆくようなヘイデンの豊かな奥行きをもったベース・トーン。そんなベースに寄り添うようにルバルカバをはじめ、曲によって加わるテナーやヴァイオリンの響きが美しい魅力を加えてゆく。<アット・ジ・エッジ・オブ・ザ・ワールド>でフェデリコ・プリト・ルイスが聴かせる妖艶なヴァイオリンの音色。深いエモーションを秘めながら、すべてが優しく、深く奏でられてゆく演奏の数々。マリア・テレーサ・ララによって書かれたボレロの名作<ノーチェ・デ・ロンダ>(Night of Wandering)ではパット・メセニーが、このうえなくロマンティックなギターを聴かせ、<スリー・ワーズ>(Three Words)ではテナーのデビッド・サンチェスが哀愁のメロディーをゆったり吹き上げる。そしてヘイデンのオリジナル<ムーンライト>ではジョー・ロヴァーノのテナーをフィーチュア。どこまでも沈んでゆく<ナイトフォール>もヘイデンの作品で、あふれる感情を抑えに抑えて弾くゴンザロのピアノが心にのこる。これまでCDで何回か再発が繰り返されてきたが、ごく最近ユニバーサルミュージックからリリースされたUHQCD盤は、音質やバランス、演奏の生々しさが十二分に伝わってきて最高だ。

♯294 リリカルなタッチに彩られた美しいバラード集

バラード/山中千尋

「バラード/山中千尋」
(ユニバーサルミュージック CD ⇒ UCCJ-2200, UHQCD ⇒ UCCJ-9233)

日本ジャズ界を代表するピアニストのひとり、山中千尋がリリースしてきた多くのアルバムの中から、バラード演奏ばかりを自身でセククトしたもので、彼女のデビュー20周年を記念して2021年にリリースされた。スタンダード曲を中心に、メロディーの持ち味を押し出しながら詩情豊かに奏でてゆく山中の美しいタッチ。優雅であるとともに、しなやかな個性をもっている彼女の音楽性が、どの演奏からもにじみ出てくる。

エレガントなオープニング曲<フォー・ヘヴンズ・セイク>をはじめ、ピアノ・トリオを中心にしているものの、曲によってクラリネットが加わったり、セクステットのものがあったりと編成も多彩。<オン・ザ・ショア>をはじめとする山中のオリジナルも4曲含まれる。さらに本作のために新たに<ダニー・ボーイ><ルビー・マイ・ディア><アイ・キャント・ゲット・スターテッド>の3曲をソロで収録。単なるコンピレイション盤になっていないところもポイントで、聴くほどに味わい深い山中の世界にひたることのできる素晴らしいバラード作品になっている。

筆者紹介

岡崎正通

岡崎 正通

小さい頃からさまざまな音楽に囲まれて育ち、早稲田大学モダンジャズ研究会にも所属。学生時代から音楽誌等に寄稿。トラッドからモダン、コンテンポラリーにいたるジャズだけでなく、ポップスからクラシックまで守備範囲は幅広い。CD、LPのライナー解説をはじめ「JAZZ JAPAN」「STEREO」誌などにレギュラー執筆。ビッグバンド “Shiny Stockings” にサックス奏者として参加。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。

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