第八十回
秋に聴くヴァイオリンの名曲、名演

2024.09.01

文/岡崎 正通

例年にない酷暑が続いた今年の夏。9月に入って少しはゆったりした気分で音楽の世界に浸りたい。そんなときにふっと耳にしたくなるヴァイオリンの美しい響き。ときに情熱的で、ときに懐かしさも覚えるようなアルバムをピックアップしてみた。

♯262 メロディーに寄せる思いの深さが強く出ている、渾身の一作

Naoko’s/寺井尚子

「Naoko’s(ナオコズ)/寺井尚子 」
(Saku Music SKMU-0001)

まずオープニング曲<エスペランサ >の哀愁を帯びたロマンティックなヴァイオリンの響きに魅了される。その名も「Naoko’s」と題された、寺井尚子のアルバム。コロナで活動が制限される中で、彼女自身が立ち上げたSaku Musicから発表された4年ぶりの最新作である。バラエティにとんだ選曲もさることながら、どの演奏にもジャズ、ラテン、ポップス、クラシックなど、さまざまな音楽の色彩やテクニックが詰まっていて、それらが彼女の感性をとおして美しく表出されてゆく。とくに感動を覚えたのが2曲目の<エマニュエル >で、これはフランス音楽界の鬼才ミシェル・コロンビエ が書いた哀しくも美しいメロディー。ミシェル自身の演奏は1970年のアルバム「Wings」に入っていて、比較的新しいところではトランペッターのクリス・ボッティ がレパートリーにしていたものの、誰もが知るようなポピュラーな作品ではない。そんな“隠れ名曲”をとりあげてメロディーに寄り添い、ほとんど同化するかのようにエモーショナルに奏でてゆく寺井のプレイが、言葉にできないほど素晴らしい。

もうひとつの聴きものが<メンデルスゾーン:ヴァイオリン・コンチェルト >で、このクラシック名曲の“第一楽章”をジャズのカルテットで演じてみせる。原曲のもつ雰囲気を生かした前半から自由なカデンツァを経て、ぐっとジャジーな展開をみせてゆく構成が楽しい。<明日へ ><夢の道 >などのオリジナル・バラードでも、これでもかと楽器を歌わせてゆく。あらためて強く感じるのはリーダー、寺井のメロディーに対する思いの深さで、そんなハートがヴァイオリンに乗り移っているかのような演奏の数々。ひたむきに音楽に向き合う彼女の情熱が強く示されている渾身の一作だ。

♯263 ロマンティックな香り溢れる<ファースト・ソング>

First Song/Sara Caswell

「First Song/Sara Caswell」
(Double-Time Records DTRCD-166)

アルバムのタイトル曲<ファースト・ソング>はベーシストのチャーリー・ヘイデン が書いた名曲で、いくつかの名演が残されているものの、ヴァイオリンで演奏されたものはあまりない。ここでは女性ヴァイオリニストのサラ・キャスウェルが淡々とメロディーを弾きあげていて、そこからロマンティックな香りが立ち込めてくる。

サラはクラシック奏法を正式に学んだあと、インディアナ大学 でジャズも学んで2000年からニューヨークを中心にプレイを続けている。エスペランサ・スポールディング の“チェンバー・ミュージック・ソサエティ ”に参加したあと、室内楽的なバンド“9ホーセス ”でも活躍。2018年にはグラミーの最優秀ジャズ・ソロ部門 にノミネートされたこともある。これは2000年に吹き込まれたデビュー・アルバム。彼女の最新作に「The Way to You」があって、本来ならばそちらの成熟したプレイを挙げるべきと思うが、やはり<ファースト・ソング>の魅力は捨てがたいものがあり、ここでは敢えてデビュー作を選んだ。

♯264 若きギル・シャハムの颯爽とした名演

ヴィエニャフスキ:ヴァイオリン協奏曲第一番、第二番、伝説曲、他/ギル・シャハム~ローレンス・フォスター指揮、ロンドン交響楽団

「ヴィエニャフスキ:ヴァイオリン協奏曲第一番、第二番、伝説曲、他/ギル・シャハム~ローレンス・フォスター指揮、ロンドン交響楽団 」
(ユニバーサル・ミュージック UCCG-5363)

ポーランド生まれの作曲家で名ヴァイオリニストでもあったヘンリク・ヴィエニャフスキ (1835~1880)については、アダム・バウディフ が彼の作品にアプローチした「レジェンド~ヴィエニャフスキの音楽にインスパイアされたアルバム 」(♯221)でも触れている。10代の頃からヨーロッパ、ロシア、アメリカで演奏をおこなったヴィエニャフスキの作品の中でとくに知られている2つの<ヴァイオリン協奏曲>。頻繁に演奏されるレパートリーではないものの、スラブの哀愁に彩られたメロディーが次々に現れて、じつに魅力的だ。10代の終わり頃に作られた<第一番>のオーケストレイションは、若さゆえの未熟さも見られるものの、ドラマティックな展開の中にヴァイオリンの技巧的な要素がふんだんに盛り込まれていて、なかなかに聴きごたえがある。<第二番>のほうはいっそうの哀感があって、“第一楽章”の出だしの主題からぐっと惹きつけられる。切れ目なく続く“第二楽章”の詩的な世界もたっぷりと抒情を含んでいて、とても美しい。

この難曲を演奏するギル・シャハムは、現代ヴァイオリン奏者の最高峰のひとりで、昨年の秋にも来日しているが、これは若き日のレコーディング。彼が19才の時に吹き込まれたものだが、テクニックをひけらかすこともなく、たっぷりした表情でメロディーを歌わせていて、落ち着いた表情とともに、ごく自然な流れで音楽を聴かせてゆくのが素晴らしい。哀愁が漂う<伝説曲 >も、作曲者が生まれ育ったスラブの風景画のようなものを思わせて最高だ。最後に収められているサラサーテ 作<ツィゴイネルワイゼン >も、美しい音色でジプシーの情熱と哀感を描ききった名演。

筆者紹介

岡崎正通

岡崎 正通

小さい頃からさまざまな音楽に囲まれて育ち、早稲田大学モダンジャズ研究会にも所属。学生時代から音楽誌等に寄稿。トラッドからモダン、コンテンポラリーにいたるジャズだけでなく、ポップスからクラシックまで守備範囲は幅広い。CD、LPのライナー解説をはじめ「JAZZ JAPAN」「STEREO」誌などにレギュラー執筆。ビッグバンド “Shiny Stockings” にサックス奏者として参加。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。