“良き時代を懐かしむ”というと、少なくとも10年以上、あるいはもっと昔の頃に思いを寄せるのが普通のことだった。それがいまコロナ禍の中で、今年(2020年)の初め頃でさえ“良き時代”だったと思えるような日々が続いている。今年初めにウィーンの楽友協会で収録された素晴らしい映像を観て、あらためてそんな思いを強くした。そして、ほんとうの“古き良き時代”を感じさせるノスタルジックなアメリカン・スタンダード曲の数々。ジャズ・シンガーによって取りあげられることが多かったものを、あえてロック、ポップス・シンガーが歌っているスタンダード・アルバムの名作をピックアップした。
今年(2020年)の1月、ウィーンの音楽の殿堂、ムジークフェライン(ウィーン楽友協会)ホールで、映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムスがウィーン・フィルを指揮して、彼が作曲した映画音楽ばかりを演奏するコンサートが開かれた。ジョン・ウィリアムスにとっても、まさに夢の舞台。しかしこれは単なるポップス・コンサートではない。同じ芸術家の世界で音楽に上下はなく、ジョン・ウィリアムスの音楽を愛するウィーン・フィルのメンバーたちが演奏に向かう姿も真剣そのもの。そして音楽する喜びにあふれたステージは、超一級のクラシック・コンサートに勝るとも劣らない圧倒的な感動をもたらすものになった。おなじみの<スター・ウォーズ>や<E.T.><ハリー・ポッター>などのメロディーが、世界最高のオーケストラの響きで蘇える。ステージに大きな花を添えたのがバイオリンのアンネ=ゾフィー・ムター。まるでクラシックのコンチェルトを演じるかのように鮮やかに奏でられてゆくのを目の当たりにすると、これらの曲がムターの為に書かれたのではないかと錯覚をおぼえてしまうほど。「シンドラーズのリスト」からの<追憶>での、哀愁のこもった美しいバイオリンの旋律にうっとりと聴き惚れたあとは、ウィーン・フィルのメンバーたちが演奏を望んだという<帝国のマーチ><レイダーズ・マーチ>でステージはクライマックスを迎える。単発のCDでも楽しめるが、これはCDとBlu-ray Videoがセットになった上記盤で、ぜひ映像とともに楽しんでいただきたい。(<追憶>はBlu-rayディスクのほうにしか含まれていない)
このコンサートがおこなわれた翌2月、アンネ=ゾフィー・ムターは来日して、連日ベートーヴェン・プログラムを熱演。小生も2月20日のサントリーホールに足を運んだ。コロナの影が忍び寄っていた頃。客席の半分以上がマスクを着けていたが、ムターはこの光景をステージから見て、どんな風に思うのだろうなどと考えたりしたものだ。それでも、まだコンサートが中止になるギリギリのタイミングだった。コロナ禍の半年以上が過ぎた今、ウィーンのムジークフェラインも、ぼつぼつコンサートを再開し始めている。ジョン・ウィリアムスとウィーン・フィル、アンネ=ゾフィー・ムターによる夢のような映像を観ながら、一日も早くノーマルな日常が訪れてほしいと願うばかりである。
ニルソンは1960年代の終わり頃から70年代にかけて、多くのファンをもっていた人気ロック、ポップ・シンガー。映画「真夜中のカウボーイ」の主題歌<うわさの男>(Everybody’s Talkin’)をヒットさせたあと、72年に<ヴィザウト・ユー>がアメリカとイギリスで、ともにチャートのNo.1に輝いて人気を不動のものにした。グラミー賞の最優秀ポップ歌手にも輝いている。
そんな彼が「夜のシュミルソン」(A Little Touch of Schmilsson in The Night)ではノスタルジックなスタンダード・ナンバーばかりを選んで、渋い感じで歌ってみせる。<オールウェィズ><ラグタイムの子守歌><時のたつまま>など、古いナンバーを淡々と歌ってゆくのは、まるでモノクロームの映画を観ているかのよう。フランク・シナトラやナット・キング・コールのアルバムの編曲を多く手がけたゴードン・ジェンキンスのオーケストラがバックを受けもっているのもポイントで、いやが上にも良き時代へとタイムスリップさせてくれる。ポップ・アーティストが本格的にスタンダード曲にアプローチをみせる時代への先鞭をつけたともいえる良質の一枚。
“悪いあなた”“ブルー・バイユー”などの大ヒットをはなって、70~80年代の西海岸ポップスを代表するひとりとなったリンダ・ロンシュタットによるスタンダード・アルバム。タイトル曲をはじめ<やさしき伴侶を><ラヴァー・マン>など、おなじみの美しいバラードばかりを選んで、曲のもっている情感をそのまま素直に押し出してゆく。それでいてポップ・シンガーとしてのリンダの個性が充分に感じられるのが大きな魅力。やはりフランク・シナトラなどのバックでも知られる名手、ネルソン・リドルがアレンジをおこなっている。
1983年の秋に発売されて、ビルボード・チャートの第3位まで上がったポップ・シンガーによるスタンダード曲集の定盤的な一枚。この作品が好評だったので、このあと「ラッシュ・ライフ」「フォー・センチメンタル・リーズンズ」と立て続けに録音。リンダ・ロンシュタットによるスタンダード3部作として後世にのこるものになっている。
イギリス生まれで75年からアメリカに移って多くのヒットを出したロックンロール界のスーパースター、ロッド・スチュアート。そんなロッドが21世紀に入ってから吹き込んだ人気シリーズが「ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック」。2002年に「Vol.1」をリリースしたのを皮切りに、シリーズは2010年の「Vol.5」まで続き、アルバムはトータルで2000万枚を超えるセールスを記録したのだという。その名のとおり、良き時代のスタンダードばかりを選んで、ロッドがハスキーな歌声の魅力とともに聴かせてくれる。その歌声は、一聴してロッドとわかるほど個性的。作品の素晴らしさとともに100%ロッドのカラーに塗りたくられているのが素晴らしい。
この「Vol.3」は、曲によってエリック・クラプトンやスティービー・ワンダーをはじめ、豪華なゲスト陣の参加も魅力。<この素晴らしき世界>でのスティービーのハーモニカも心に染みわたる。<スターダスト><マンハッタン><言いだしかねて>など、ロッドが歌う名スタンダード曲のメロディーは、心優しくてノスタルジックでありながら、いつも新しい。
小さい頃からさまざまな音楽に囲まれて育ち、早稲田大学モダンジャズ研究会にも所属。学生時代から音楽誌等に寄稿。トラッドからモダン、コンテンポラリーにいたるジャズだけでなく、ポップスからクラシックまで守備範囲は幅広い。CD、LPのライナー解説をはじめ「JAZZ JAPAN」「STEREO」誌などにレギュラー執筆。ビッグバンド Shiny Stockings にサックス奏者として参加。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。