偉大なジャズ・プレイヤーが多く亡くなってしまった2024年の秋。なかでも11月3日、クインシー・ジョーンズの訃報を耳にして、まさに“巨星堕つ”という思いを強くした。ジャズの分野だけでなく、ポップスや映画音楽も含めて20世紀後半のアメリカン・ミュージックを創造し続けていったクインシー・ジョーンズ。その手によって、この時代の音楽がいかに豊かな実りをみせていったかは計り知れないものがある。そんなクインシーのアルバムを追いながら、彼の偉業を振り返ってみたい。
若くして作編曲者として、ディジー・ガレスピーやカウント・ベイシー楽団のためにアレンジを書いて認められたクインシー・ジョーンズは、1959年に26才の若さで一流メンバーばかりを集めたオーケストラを編成。それぞれのメンバーの個性を生かしながら目の醒めるようなアレンジを書いて、大きな注目をあつめた。「バンドの誕生」(The Birth of a Band)と「グレイト・ワイルド・ワールド・オブ・クインシー・ジョーンズ」を吹き込んだあと、バンドはヨーロッパ・ツアーをおこなったが、経済的な問題からそのまま一年少しをヨーロッパで過ごしたあと、61年夏の“ニューポート・ジャズ祭”を最後に一旦、解散しなければならなくなってしまった。
そのニューポートでのステージを収めた本アルバム。解散直前とはいえ、バンドの演奏はホットで、ほんとうに凄い。ライブということもあって一曲の演奏時間も長めで、バンドが一体になった迫力は凄まじいものがあり、乗りに乗ったプレイを楽しむことができる。ジョー・ニューマン(tp)をフィーチュアした<ミート・B.B.>で幕を開けたステージは、シャッフル・ビートに乗せたグルーヴィな<ザ・ボーイ・イン・ザ・ツリー>へと続き、アップ・テンポの<エアメイル・スペシャル>を挟んで<レスター・リープス・イン>からバンドの十八番曲だった<グエイン・トレイン>へと大きく盛り上がる。パリの印象を綴ったクインシーの名作<イヴニング・イン・パリ>でフィル・ウッズが聴かせる抒情美あふれるアルト・ソロが、もうひとつのハイライト。このあとマーキュリー・レコードのスタッフとなって数々のヒット・アルバムを世に送り出してゆく若きクインシーの、ビッグ・バンドに賭ける情熱がひしひしと伝わってくる聴き応えあるアルバムになっている。
60年代半ばにマーキュリー・レコードの副社長を離れてからのクインシー・ジョーンズは、「質屋」(The Pawnbroker)や「夜の大捜査線」(In The Heat of The Night)をはじめとする映画音楽や「鬼警部アイアンサイド」(Ironside)などTVドラマの音楽、さらにフランク・シナトラの為のアレンジなどを担当して、多忙な日々を送っていた。そんなクインシーが数年ぶりに本格的なジャズに取り組んだアルバムが69年の「ウォーキング・イン・スペース」。当時A&Mでプロデュースをおこなっていたクリード・テイラーから声がかかって制作されたもので、かねてからクインシーの才能を認めていたクリードは、メンバーの人選から中味までのいっさいをクインシーの好きなように任せたのだという。
そんなクリードの期待に応えるかのように豪華なプレイヤーを集めておこなわれたセッションでは、単なるアレンジャーに留まることのない、クインシーならではの意を尽くしたアイディアがふんだんに盛り込まれて、とびきりお洒落な作品に仕上がりをみせている。12分に及ぶタイトル曲は68年に上演されたミュージカル「ヘアー」の中のナンバーで、女性コーラスをまじえた印象的なリフを挟んでボブ・ジェームス(elp)やローランド・カーク(sax)、エリック・ゲイル(g)らが個性的なソロを繰りひろげる。<アイ・ネヴァー・トールド・ユー>にフィーチュアされるトゥーツ・シールマンスのハーモニカも幻想的で美しい。1969年のアルバムは1970年のグラミー賞“最優秀ジャズ・アルバム”に輝いている。これ以前にも何度もノミネート機会はあったものの、64年に“編曲部門”を獲得しただけに終わっていたクインシーにとって、久しぶりのグラミー・アワード。以後グラミーの常連になってゆくクインシーにとっても、忘れることのできない会心の一作と言うことができよう。
今となっては懐かしい<愛のコリーダ>(Ai No Corrida)。ディスコ・タッチのビートに乗ったこの曲は、もともとはイアン・デュリー・グループのギタリストだったチャス・ジャンケルによって書かれたものの、クインシーならではの緻密なアレンジによって大ヒットへと繋がった。70年代からのクインシー・ジョーンズの音楽は、いっそうプロデュース色を強めるとともに、ジャズだけでなくR&Bやポップな感覚を押し出しながら、時代の先端をゆくブラック・コンテンポラリー・サウンドを生み出していった。
そんなサウンド・クリエイターとしての実力が最高に発揮された本アルバム。81年にリリースされた本作からは<愛のコリーダ>だけでなく、<ジャスト・ワンス><心の傷跡>(Betcha’ Would’nt Hurt Me)<ラザマタズ>(Razzamatazz)の4曲がシングルカットされて、いずれもヒット・チャートにランク・イン。参加シンガーもジェームス・イングラム、パティ・オースチンと豪華版。そのイングラムがソフトな表情で聴かせる<ジャスト・ワンス>も最高だ。原盤タイトルになっている<The Dude>がグラミーで“ベストR&Bパフォーマンス”、<愛のコリーダ>と<ヴェラス>が“ベスト編曲賞”。そして82年にはクインシー自身が“プロデューサー・オブ・ジ・イヤー”と、まさに賞づくめ。84年にはマイケル・ジャクソンの<スリラー>と<ビート・イット>。86年には<ウィ・アー・ザ・ワールド>とグラミー街道をひた走っていったクインシーの卓越した才能を、いやが上にも感じることになるヒット・アルバムである。
小さい頃からさまざまな音楽に囲まれて育ち、早稲田大学モダンジャズ研究会にも所属。学生時代から音楽誌等に寄稿。トラッドからモダン、コンテンポラリーにいたるジャズだけでなく、ポップスからクラシックまで守備範囲は幅広い。CD、LPのライナー解説をはじめ「JAZZ JAPAN」「STEREO」誌などにレギュラー執筆。ビッグバンド “Shiny Stockings” にサックス奏者として参加。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。
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