往年の名盤と言われたような作品を、新たなマスタリングのほどこされた最新のLPプレスで耳にするのは、オーディオの醍醐味のひとつである。今月は川上さとみさんの極め付きの新作に加えて、近年リマスター復刻されたLPを2点。音質については保証付きのアルバムばかりである。
オープニング曲<Beautiful Solitude>の、あまりにも美しく、静謐なピアノの響きにぐっと惹きつけられる。川上さとみは2006年に「ティアラ」でデビュー。これまでに6枚のアルバムをリリースしてきていて、これは2015年の「バレリーナ」以来の新作になる。
いつも美しくも切ないメロディーを書いてきた川上さとみであるが、そんな彼女にとってもこの一作は、また特別なものがあるようだ。というのは本作はLPのみの発売で、A面の2曲が演奏を直接ラッカー盤に刻み込んでゆくダイレクト・カッティング方式で制作されている。演奏を2チャンネルでステレオ録音しながら、同時にレコード用にカッティングするという、いっさいのやり直しも編集もきかない張りつめた空気の中で、彼女のプレイはもとより、その突き詰めた表現美をとらえきっている録音も見事。川上さとみのメロディーに対する憧憬はもちろんのこと、音楽が放たれるスタジオの臨場感までもひしひしと伝わってくるのが素晴しい。
そしてB面のほうの2曲はDSD11.2MHz 1bitで録音されたマスターから、やはり直接スタンパーにプレスされている。B面の<Everlasting>も、ほのかな抒情がこみ上げてくるような名演。ジャジーな<All Senses><Perspective>も含めて、A、B面の制作過程の違いから生まれる微妙な音質の違いを楽しむのは、まさにオーディオ・マニア冥利に尽きるものと言えるかもしれない。
オランダを代表する歌姫のひとりだったアン・バートン。彼女の実質的なデビュー・アルバムにして最高作とされる「ブルー・バートン」が、ヨーロッパのオリジナル盤に近い形でLP復刻されている。当時から日本に保管されていたアナログ・テープを用いてのマスタリング。そのテープの状態もとても良好で、彼女のボーカルのもつしっとりとした深い味わいを、よく耳にすることができる。
録音されたのは1967年で、このときアン・バートンは34才。“私はいつも歌詞を大切にしていて、メロディーよりも歌詞が好きになれば、その曲を歌ってみたくなるの・・”という彼女の、まるでストーリーを語ってゆくような歌唱スタイルは、すでに十二分に完成されているように思われる。ビリー・ホリデイの歌声から大きなインスピレイションを得たというアン・バートンの歌声には、ヨーロッパのシンガーならではのスマートさや優雅な洗練とともに、ちょっぴりけだるい雰囲気が漂っていて、聴き手の心の中にまで強く訴えかけてくる。ひとつひとつのフレーズを噛みしめるように歌ってゆく<捧ぐるは愛のみ>。そしてキャロル・キングが書いた<ゴー・アウェイ・リトル・ボーイ>や、ソウル・シンガーのボビー・ヘブのヒット曲<サニー>などのポップ作品を、あくまで彼女流の語りかけるような解釈で聴かせてくれるのも素晴らしい。オリジナル盤はオランダのアートーンで、盤のラベルも同じものを使用。ジャケットもヨーロッパ式と呼ばれるフリップバック、コーティング仕様で、限りなくオリジナル盤に近いものになっている。
自社カタログのアナログLPリリースを積極的に推し進めているヴィーナスレコードが、2枚組のLPシリーズをスタートさせた。これは一昨年秋に世を去ったテナー・サックス奏者ファラオ・サンダースのカルテットによる1992年録音盤。ファラオが若かった頃に参加したバンドのリーダーだったジョン・コルトレーンに捧げられたもので、コルトレーン64年の名盤「クレッセント」から、タイトル曲と<ワイズ・ワン><ロニーズ・ラメント>の3曲がとりあげられている。ほかにもコルトレーンゆかりのナンバーに加えて、おなじみのスタンダード曲もまじえた選曲。<ミスティ>のような有名曲も、ファラオ流のエモーショナルな解釈で聴かせてくれる。かつてのフリーなスタイルから一転、深遠な響きを湛えたメロディックなプレイから、豊かな詩情とともにスピリチュアルな空気感が広がってゆく。
もともとはCDとして発売された為に収録時間が89分もあって、とても一枚のLPに収めることはできず、LP化に当たっては何曲かを割愛しなくてはならなかった。実際にヴィーナスのLPは、CDよりも曲数を減らして制作されたものも多かったのだが、LP2枚組にすることによってCD全曲の収録が可能になった。もうひとつの2枚組のメリットは、全体の収録時間に余裕が生まれることから、レコードの溝を深く刻むことができることで、ガッツ溢れるボリューム感で知られるヴィーナス・サウンドの魅力を、いっそう迫力ある音質で楽しむことができるものになっている。
小さい頃からさまざまな音楽に囲まれて育ち、早稲田大学モダンジャズ研究会にも所属。学生時代から音楽誌等に寄稿。トラッドからモダン、コンテンポラリーにいたるジャズだけでなく、ポップスからクラシックまで守備範囲は幅広い。CD、LPのライナー解説をはじめ「JAZZ JAPAN」「STEREO」誌などにレギュラー執筆。ビッグバンド Shiny Stockings にサックス奏者として参加。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。