ジャズがかつてないスピードで変容・進化をとげている今日にあって、ジャズ・ボーカルの世界もまた、まるで呼応するかのように多様な発展をみせている。そんな新しい時代の才能の中でも、前々号で紹介したサマラ・ジョイ(♯218)は白眉と呼べるシンガーであるが、今月はすでに大御所的な風格を漂わせるセシル・マクロリン・サルヴァントとグレッチェン・パーラト、そして期待の新星ケイティ・ジョージの3人にスポットを当てて、それぞれの新作を聴いてみる。
どこかにジャズ・ボーカルの伝統を漂わせながらも、自由な感性の飛翔を感じさせる歌声とともにジャンルを超えたレパートリーをしなやかに歌いこなしてゆくセシル・マクロリン・サルヴァントは、現代ジャズ・ボーカリストの最高峰であり、最先端をゆくアーティストのひとり。ハイチ人の父とフランス人の母の間に生まれて、クラシックを学んだあとジャズに転向。2010年には新たな才能の登竜門であるセロニアス・モンク・コンペティションに出場して優勝した逸材。2016年の「For One to Love」をはじめ、2018年「Dreams and Daggers」、2019年「The Window」でグラミー最優秀ジャズ・ボーカル・アルバムを3度も受賞している。
今年の春にリリースされた「MELUSINE」は、ヨーロッパに伝わる女性の精霊“メリュジーヌ”をモチーフに、フランス語やハイチ語で歌っている。“サラ・ヴォーンやベティ・カーターからボーカルの即興を学んだの。ジャズやブルースにフォーク・ミュージックやミュージカルの要素も加えたのが私の音楽”と語っていたが、そんなすべての要素が彼女の中で昇華されて、まぎれもないセシル・マクロリン・サルヴァントの音楽言語として表現される。レオ・フェレやシャルル・トレネのシャンソン曲に始まって、オリジナルへと移ってゆくアルバムの流れ。さらには中世の吟遊詩人によって歌い伝えられてきたトラッドな曲を含めたアート感覚あふれるアルバム構成は、上質な美術の個展を見るかのようでもある。この6月にも一緒に来日した最高の音楽パートナーであるピアニスト、サリヴァン・フォートナーをはじめとするメンバーと一体になった完璧な音創り。豊かなストーリーに彩られたアルバムの響きが素晴しい。
リズミックでパーカッシブな一面ももっているリオーネル・ルエケのギターを得て、軽やかに舞うようにメロディーを歌ってゆくグレッチェン・パーラト。彼女の歌唱スタイルはハスキーでクールな表情を漂わせているものの、内に秘めたエモーションはやはり凄まじいものを感じさせる。圧倒されるのは彼女のリズム感覚と、細やかな抑揚をもった表現のデリカシー。1976年ロサンゼルス生まれのグレッチェン・パーラトは2003年にニューヨークへ出て、やはりセロニアス・モンク・コンペティションで優勝して注目をあつめるようになった。2011年にダウンビート誌批評家投票でベスト女性ボーカリストに輝いただけでなく、「Live in Newyork」(2015年)と「Flor」(2022年)の2作がグラミー賞にもノミネートされている。
昨年の春に録音された最新アルバム「Lean In」は、デビュー時から音楽的なパートナーシップを続けてきたルエケとのコラボレーション作。歌われるのはリズミックなパーラトのオリジナルや、西アフリカ、ベナン共和国出身のルエケのルーツを感じさせる作品が中心で、<ミューズ>(パーラト作)、<ペインフル・ジョイ>(ルエケ作)などの抒情あふれるナンバーも含まれる。個人的には80年代半ばに大ヒットしたディスコ・バラード<アイ・ミス・ユー>のカヴァーが嬉しい。じっくり耳を傾ければ激しくインスパイアされるいっぽうで、聴き様によっては心地よい風が吹き抜けてゆくようなさわやかな響き。ゆったりと時間が流れてゆくような、抑制のきいたふたりの知性あふれる美学に惹きつけられる。
昨年リリースされた「ポートレイト・オブ・・」と「フィーチャリング」という2枚のアルバムで一躍注目をあつめるようになったカナダ出身の若手シンガー、ケイティ・ジョージ。カナダのグラミー賞ともいわれる「JUNO Award」で“年間ベスト・ジャズ・ボーカル・アルバム”を2年連続で受賞した彼女の最新アルバムが「私とピアノとジェローム・カーン」。
ケイティは素晴らしい作曲の才能ももっていて、「フィーチャリング」は大半が彼女のオリジナルで占められていたのだったが、本作はタイトルどおり、ミュージカルの名作曲家だったジェローム・カーンの作品ばかりをとりあげて歌っている。バックを受けもつのは、やはりカナダでアレンジャーとしても活躍するピアニストのマーク・リモーカー。ピアノだけをバックに歌っているものの、ケイティの表情は緩急自在。チャーミングな容貌からは想像できないほどに本格的なスキャットもまじえて、堂々と歌いこなしてゆく。一曲目の<ノーバディー・エルス・バット・ミー>から鮮やかなスキャットの魅力は全開! 絶妙な節回しからジャジーな個性が強烈に発散されてゆく。いっぽう<イエスタデイズ><エイプリル・フールド・ミー>などのバラードでは、歌詞のひとつひとつを噛みしめるように情感をこめて歌っている。ラストに収められた<ザ・バーテンダー>だけはケイティのオリジナルで、これも大人の情感が漂う味わい深い一曲になっている。
小さい頃からさまざまな音楽に囲まれて育ち、早稲田大学モダンジャズ研究会にも所属。学生時代から音楽誌等に寄稿。トラッドからモダン、コンテンポラリーにいたるジャズだけでなく、ポップスからクラシックまで守備範囲は幅広い。CD、LPのライナー解説をはじめ「JAZZ JAPAN」「STEREO」誌などにレギュラー執筆。ビッグバンド Shiny Stockings にサックス奏者として参加。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。