第六十六回
クラシック音楽に寄せる即興演奏家の思い

2023.07.01

文/岡崎 正通

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音楽の境界がますます広がっている中で、即興演奏家がクラシックに寄せる思いも深いものがある。とくにヨーロッパでは、ジャズ・ミュージシャンといえども正規にクラシックの教育を学んだプレイヤーが多く、彼らが創り出す音楽は、まさにジャンルを超えた面白さをはらんでいる。そんなヨーロッパの2名の即興演奏家の近作と、キース・ジャレットがクラシック曲を演奏した作品を聴いてみる。

♯220 作曲家の本質に迫ったスクリャービン・ジャズ

アレクサンドル・スクリャービンズ・ラグタイム・バンド/デヴィッド・ゴードン・トリオ

「アレクサンドル・スクリャービンズ・ラグタイム・バンド/デヴィッド・ゴードン・トリオ」
(Mister Sam Records PSAM CD-004)

イギリス人ピアニスト、デヴィッド・ゴードンがアレクサンドル・スクリャービン(1872~1915)の作品を中心に自在なアレンジで演奏してみせる。スクリャービンは近代ロシアを代表する作曲家のひとり。ロマンティックな作風の時代から、次第に神秘主義的な傾向を強めていった彼の音楽は、当時は広く受け入れられるものでなかったものの、今日ではクラシック音楽の世界だけでなく、ジャズ・サイドからもアプローチを試みるプレイヤーが多くなった。敢えて“スクリャービンズ・ラグタイム・バンド”と名付けられたアルバムは2015年、スクリャービンの没後100年というメモリアルな年に制作されている。全14曲のうち、9つのトラックでゴードンはスクリャービンの作品に真正面からアプローチ。即興プレイヤーとしてさまざまなアイディアを凝らし、楽しく、美しく聴かせてゆく。

カラム・ヒースのギターを加えてスペイシーなサウンドが展開される<プレリュディウム・ミステリューム>、エキゾチックなビートをバックに幻想的なプレイが繰りひろげられてゆく<フェイマス・エチュード>、そしてロマンがこぼれ落ちるかのような<ショーロ・マズルカ>。単にスクリャービンを素材にプレイするのでなく、どれもがスクリャービンという作曲家が生み出した音楽の本質を抉り出すような解釈になっているのが面白い。他にもアルバム・タイトルの元になった<アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド>からドビュッシーの<ケイクウォーク>、さらにはフランシス・カナロのタンゴ曲までが、何の違和感もなくスクリャービン作品と並列にならんでいるのも興味深いところである。イギリスの月刊音楽雑誌“Mojo Magazine”で2016年の最優秀ジャズ・アルバムにも選ばれた話題作。ジャンルを超えた活動をおこなってきたデヴィッド・ゴードンならではの、聴きごたえある一枚である。

♯221 スラブの憂愁に彩られたアダム・バウディフの音楽

レジェンド~ヘンリク・ヴィエニャフスキの音楽にインスパイアされたアルバム/アダム・バウディフ・クインテット

「レジェンド~ヘンリク・ヴィエニャフスキの音楽にインスパイアされたアルバム/アダム・バウディフ・クインテット」
(ANAKLASIS OANA-020)

ポーランドのジャズ・ヴァイオリン奏者、アダム・バウディフが同地の作曲家、ヘンリク・ヴィエニャフスキ(1835~1880)の楽曲から得たインスピレイションを基に書いた作品を演奏する。名ヴァイオリニストとしても知られたヴィエニャフスキの曲は優れたテクニックが要求されるものが多いが、いっぽうでスラブ的な憂愁に彩られているメロディックな旋律は、聴く人の心をとらえて離さない魅力をもっている。ここでのバウディフも、そういった民族的なもの哀しいメロディーを押し出しながら、美しい響きで聴かせてくれる。10代の頃から注目をあつめてジャズ、クラシック、ポップスと幅広い活動をおこなってきたバウディフならではの自由な解釈。マレク・コナルスキの吹くテナーがバウディフに寄り添いながら、さらにメロディーを際立たせてゆく。

もうひとりのヴァイオリン奏者として、新人の登竜門でもある“ヴィエニャフスキ・コンクール”で優勝したアガタ・シムチェフスカが参加。グループの響きにいっそうの深味をもたらしてゆく。ほの暗く揺れ動くような憂いに満ちた<無言歌><ポーランドの歌>や<カプリス第一番>。そんな素敵なアルバムをリリースしてくれたAnaklasis(アナクラシス)は、ポーランドの音楽出版社PWM Editionが運営するレーベル。ジャンルを超えた即興音楽を世界に紹介する“リビジョン・シリーズ”からの2022年作品。

♯222 キース・ジャレットが聴かせる古典曲へのアプローチ

C.P.E.バッハ~ヴェルテンベルク・ソナタ集/キース・ジャレット

「C.P.E.バッハ~ヴェルテンベルク・ソナタ集/キース・ジャレット」
(ECM ⇒ ユニバーサルミュージック UCCE-2104~5)

ヨハン・セバスティアン・バッハ(J.S.バッハ)の次男のカール・フィリップ・エマニュエル・バッハ(C.P.E.バッハ)が30才の時に書いた<ヴェルテンベルク・ソナタ集>。古典様式を尊び、典雅な中にも感情の起伏をもつ曲を多くのこしたC.P.E.バッハの作品の中でも、独奏曲の傑作とされるソナタをキース・ジャレットが演奏したテープが発掘されて、今月リリースされることになった。1994年にキースが自宅のスタジオで演奏したもので、当時のキースはJ.S.バッハの“平均律クラヴィーア曲集”や“ゴールドベルク変奏曲”“フランス組曲”などのクラシック曲をさかんに演奏してアルバム化していた。

“スタンダーズ・トリオ”によるジャズ演奏や即興ソロ、そしてクラシック演奏を並行して積極的におこなっていた時期のキース・ジャレット。“チェンバロ奏者が演奏した“ヴェルテンベルク・ソナタ”を聴いて、ピアノで演奏する可能性が残されているように感じた”とコメントしているように、ここでのキースの音楽はプレイする喜びにあふれている。格調高いクラシック曲を自由な感性で、しなやかに弾き上げてゆくキース。本盤はマスタリング技術も素晴らしく、約30年前の録音であるにもかかわらず、まるで昨日録られたもののように瑞々しいピアノ表現を耳にすることができる。

筆者紹介

岡崎正通

岡崎 正通

小さい頃からさまざまな音楽に囲まれて育ち、早稲田大学モダンジャズ研究会にも所属。学生時代から音楽誌等に寄稿。トラッドからモダン、コンテンポラリーにいたるジャズだけでなく、ポップスからクラシックまで守備範囲は幅広い。CD、LPのライナー解説をはじめ「JAZZ JAPAN」「STEREO」誌などにレギュラー執筆。ビッグバンド “Shiny Stockings” にサックス奏者として参加。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。