第五十七回
現代のECMを聴く

2022.10.01

文/岡崎 正通

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ECMレーベルがドイツ、ミュンヘンに設立されてから、すでに50年以上もの年月が流れている。“Editions of Contemporary Music”という名のとおり、即興演奏を現代のアートとしてとらえて、香気あふれる音楽を世に送り出し続けてきたECM。最近いくつかの雑誌でECMの特集が組まれたりしているのも、レーベルの時代を超えたアート性が、あらためて評価されているからではないだろうか。ECMの作品にはクラシック、ジャズ、ポップスなどといったジャンルで捉えることのできない作品も多い。そんなECMの中から、比較的新しい3枚のアルバムを聴いてみる。音質の良さでも定評あるECMだけに、オーディオ的にも興味深いものばかりである。

♯193 アルメニアの宗教音楽と即興ピアノの美しい融合

ルイス・イ・ルソ/ティグラン・ハマシアン

「ルイス・イ・ルソ/ティグラン・ハマシアン」
(ユニバーサルミュージックECM UCCE-3049)

トルコの東、イランの北に位置するアルメニア共和国。その西部の町ギュムリに生まれたティグラン・ハマシアンは、いまもっとも注目すべきオリジナリティをもったピアニストのひとり。16才でアメリカに渡って、2006年に新人の登竜門であるセロニアス・モンク・コンペティションで優勝したキャリアをもつが、彼の作品の中にはアルメニアのフォークソングの血が流れていて、それがティグランの音楽をとりわけユニークなものにしている。

そんなティグランのECMへのデビュー作として2014年に録音された「ルイス・イ・ルソ」は、母国アルメニアに伝わる宗教音楽にアプローチをみせた意欲的な作品で、エレバン室内コーラス・グループによる荘厳な歌声に、ティグランのピアノが自由に即興で絡んでゆくという試みがなされている。とりあげられるのは、5世紀の教会音楽の旋律から20世紀のものまで幅広く、コーラスの編曲もすべてティグランがおこなった。“アルメニアの賛美歌の美しさに魅了されて、アルバムを作りたいと思った”とティグランが言うように、そのコーラスは時の流れを超えて、現代の耳にもじつに美しく響く。ほの暗い教会で歌われる賛美歌の旋律に、ティグランが奏でるピアノがキラキラと輝きながら溶け込んでゆく。ジャンルで括ることのできない、創造性あふれる音楽。自身のルーツを見つめるだけでなく、自由な発想で再創造してゆくあたりにも、ティグランの天才ぶりをみる思いがする。

♯194 ジョン・サーマンが描き出す詩情あふれる世界

Invisible Threads/John Surman

「Invisible Threads/John Surman」
(輸入盤 ECM-2588)

イギリス出身のサックス奏者、ジョン・サーマンがサンパウロ生まれのピアニストのネルソン・アイアース、現代音楽の分野でも活動するヴィブラフォン、マリンバのロブ・ウェアリングと繰りひろげるトリオ演奏。60年代に衝撃的なデビューを飾った頃のジョン・サーマンは、豪快にバリトン・サックスを吹きまくりながらフリーなインプロヴィゼイションを展開したのだったが、その後のサーマンの音楽はメロディックな抒情とフリーを自在に行き来しながら円熟を重ねていったように思う。

2017年に吹き込まれた「Invisible Threads」では、そんなサーマンならではの透徹した感性に貫かれた詩情あふれる世界がたっぷり味わえる。演じられるのは、ほとんどがサーマンのペンになる作品。ソプラノ・サックスで演じられる<At First Sight>の、涙をそっと拭うような表情。しみじみとした秋の風景が広がってゆく<Autumn Nocturne>。先日、オーディオノート社の試聴室に伺ったときにも持参していったもので、それぞれの楽器から発せられるふくよかな響きがいっそう素晴らしく、眼前でサーマンが吹いているような息遣いがリアルに体感できた。

♯195 素朴さの中に強い意志が感じられるエリナ・ドゥニの歌声

ロスト・シップス/エリナ・ドゥニ

「ロスト・シップス/エリナ・ドゥニ」
(ユニバーサルミュージックECM UCCE-3065)

イタリアの対岸、アドリア海に面したバルカン半島にあるアルバニア共和国。首都のティラナに生まれ、10才でスイスに移住してベルンの芸術大学に学んだシンガーのエリナ・ドゥニ。2020年に吹き込まれた「ロスト・シップス」はECMからの彼女の4枚目の作品で、ここ数年にわたって一緒にプレイしてきたイギリス人ギタリスト、ロブ・ルフトとのデュオに、ふたりのミュージシャンを加えている。どこかに哀しみを背負いながら、素朴なメロディーを素直な表情で歌ってゆくエリナ・ドゥニ。“歌詞のもっている強さを表に出してゆきたいと考えた”というドゥニの言葉どおりに、芯に強い意志が込められた彼女の毅然たる歌声が聴かれる。

ドゥニとルフトのオリジナルが半数を占めていて、アルバニアに伝わるメロディーも2曲。そしてイタリアの伝統メロディー<ベッラ・チ・ドルミ>。スタンダード曲<アイム・ア・フール・トゥ・ウォント・ユー>、さらにはシャルル・アズナヴールのシャンソン曲<帰り来ぬ青春>(Hier Encore)まで、幅広いレパートリーが歌われる。アメリカン・フォークの<ウェイファリング・ストレンジャー>では、マシュー・ミッシェルが寂しげなフリューゲルホーン・ソロを聴かせてドゥニの歌声に寄り添う。どんな曲を歌っても、ほのかな陰りとともに凛とした表現を聴かせてゆくのが、いかにもこの人らしい。

筆者紹介

岡崎正通

岡崎 正通

小さい頃からさまざまな音楽に囲まれて育ち、早稲田大学モダンジャズ研究会にも所属。学生時代から音楽誌等に寄稿。トラッドからモダン、コンテンポラリーにいたるジャズだけでなく、ポップスからクラシックまで守備範囲は幅広い。CD、LPのライナー解説をはじめ「JAZZ JAPAN」「STEREO」誌などにレギュラー執筆。ビッグバンド “Shiny Stockings” にサックス奏者として参加。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。