第二十八回
ヨーロピアン・ピアノの深い抒情にひたる

2020.05.01

文/岡崎 正通

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ギリシャ、イタリア、スウェーデンのピアニストたちが奏でる美しい抒情世界。パウル・パドゥーラ・スコダの古典的名アルバムとともに、そんなピアノ作品を選んでみた。

♯94 ウィーンの伝統というべき優雅な気品あふれる“鱒”

シューベルト/ピアノ五重奏曲“ます”~パウル・パドゥーラ・スコダ、バリリ四重奏団員

「シューベルト/ピアノ五重奏曲“ます”~パウル・パドゥーラ・スコダ、バリリ四重奏団員」
(ウェストミンスター ⇒ ユニバーサルミュージック UCCW-9045)

“鱒 (ます)”のタイトルで知られる、シューベルトの有名なピアノ五重奏曲。名曲だけに名演と呼ばれるものも多いと思われるが、一枚と言われればパウル・パドゥーラ・スコダとバリリ四重奏団員によるこのウェストミンスター盤。1958年のステレオ録音で、まだ筆者が中学生だった頃、このレコードが家にあって繰り返して聞いて耳に親しんでいたので、反射的に響きを憶えてしまっている。もう60年以上も前の録音で、世にステレオ・レコードが出始めた頃のものだというのに、今聞いても音が良いだけでなく、バランスのとれた録音の素晴らしさに感心させられる。

このときスコダは31才。イエルク・デームス、フリードリッヒ・グルダとともに戦後ウィーンの三羽烏のひとりだったスコダの演奏は、どこまでも優雅な気品にあふれていて自然な響きにあふれている。昨年末に再発になった本盤には、まだモノーラルしかなかった1950年にスコダがウィーン・コンツェルトハウス四重奏団と吹き込んだ同曲の演奏も収められている。当時のファンの多くは、才気あふれるこちらの演奏のほうに感銘を受けたというが、筆者はステレオ録音のほうにいっそうの繊細な表情を感じる。それでもふたつの演奏を一枚のCDで聞き比べることもできるのだから有難い。

♯95 クラシックの室内楽のようなヴァシリス・トリオの音楽

メロス/ヴァシリス・ツァブロプーロス~アニヤ・レヒナー~U.T.ガンジー

「メロス/ヴァシリス・ツァブロプーロス~アニヤ・レヒナー~U.T.ガンジー」
(輸入盤 ECM-2081)

ヴァシリス・ツァブロプーロス(Vassilis Tsabropoulos)はギリシャ、アテネ出身のピアニスト。クラシックの世界に学んでジュリアード音楽院を卒業。クラシックの古典にこだわることなく、ジャズの即興もとり入れた自由な発想で活動を続けている。2008年に吹き込まれた本作はピアノ・トリオの形をとっているものの、ピアノ、チェロ、ドラムスという編成がユニーク。ドイツ生まれのチェリスト、アニヤ・レヒナーもまたクラシックを基本にしながら、ジャズやタンゴの演奏者とも共演。

3人による演奏は、すべてが一編の風景画を見るようであり、音楽の範疇にとらわれることなく自由にイマジネイションを膨らませてくれる。ヴァシリスのオリジナルのほか、アルメニア生まれの作曲家で思想家でもあったゲォルギー・グルジェフの作品が3曲。ヴァシリスのピアノは水晶のように光を放ち、ときには敬虔な祈りさえ思わせて深く沈み込む。揺らぐローソクの灯のように、静かにエモーションを奏でてゆくレヒナーのチェロ。そしてガンジーのパーカッションがさらに表現の空間を広げてゆく。静謐な幻想、室内楽的ともいえる独特な響き。豊かな空間性をもった音楽の魅力を余すところなくとらえたエンジニア、ステファノ・アメリオによる録音も素晴らしい。

♯96 イタリア人ピアニストによる、ユニークなビル・エバンス作品集

ビル・エバンス・コンポジションVol.1/ステファノ・バッタリア・トリオ

「ビル・エバンス・コンポジションVol.1/ステファノ・バッタリア・トリオ」
(輸入盤 SPLASC H400.2)

ステファノ・バッタリア(Stefano Battaglia)はイタリア、ミラノ生まれのピアニスト。10代でクラシックの分野で活動したあと、ジャズ・プレイヤーとしてその名を知られるようになった。2000年代に入ってからはECMに多くのアルバムを録音しているが、これはイタリアのSPLASCレーベルに吹き込んだ1992年作品。ステファノが敬愛するビル・エバンスのオリジナルばかりをとりあげて演奏したもので、まず一曲目の<インタープレイ>に惹きつけられる。エバンス62年のリバーサイド盤のタイトルになっていた曲で、ステファノはいきなりシングルトーンで鍵盤を叩きつけるようにフレーズを語ってゆく。イタリアのピアニストというと大らかにメロディーを歌いあげてゆくようなプレイヤーが多い中で、ステファノのタッチはむしろドライ。そんな響きの中から次第に“インタープレイ”のテーマが浮かび上がってくる演出に驚かされる。

有名な<ナルディス>にしても、ベースを軸にした大胆な展開の中から、ゆったりとテーマの輪郭が現れる。抒情的というよりも、クールな構築の中からビルの作品のもっているロマンが浮かび上がってくる演奏の数々。どの解釈も知的で思索的。ビル・エバンスの曲集としても異色というべきユニークな一枚になっている。翌年には「Vol.2」も吹き込まれていて、2枚をセットにしたCDも出ている。

♯97 ピアノそのものが抒情しているような美しい一枚

グッドバイ/ボボ・ステンソン・トリオ

「グッドバイ/ボボ・ステンソン・トリオ」
(ECM ⇒ ユニバーサルミュージック UCCE-9374)

スウェーデンを代表するピアニスト、ボボ・ステンソンのトリオによる2005年のアルバム。70年代に、やはり地元を代表するサキソフォン奏者のヤン・ガルバレクと一緒に活動をおこなって注目をあつめたステンソンの音楽は、時とともにいっそうの表現力を深めて、珠玉の光をはなつものになっている。アンドレ・ジョルミン(ベース)とポール・モチアン(ドラムス)を従えての本トリオ・アルバム。

タイトル曲はベニー・グッドマンの演奏で知られる名曲で、幻想的な表情の中から、次第にメロディーの断片が浮かび上がってくるような抒情美あふれる演奏。さらに印象的なのが3曲目に演奏される<アルフォンシーナ>で、これはアルゼンチンの作曲家、アリエル・ラミエスが女流詩人のアルフォンシーナ・ストルニに捧げて書いたフォルクローレの名曲。“アルフォンシーナと海”という邦題でも知られている。ほかにもイギリス・バロックを代表する作曲家、ヘンリー・パーセルのメロディーからオーネット・コールマンの作品まで、さまざまなレパートリーが、ステンソンのトリオならではの世界に生まれ変わってゆく。抒情的な美しさというよりも、ピアノそのものが抒情していると言いたくなるような音楽。そんなトリオの響きをあますところなく捉えている録音も素晴らしい。

筆者紹介

岡崎正通

岡崎 正通

小さい頃からさまざまな音楽に囲まれて育ち、早稲田大学モダンジャズ研究会にも所属。学生時代から音楽誌等に寄稿。トラッドからモダン、コンテンポラリーにいたるジャズだけでなく、ポップスからクラシックまで守備範囲は幅広い。CD、LPのライナー解説をはじめ「JAZZ JAPAN」「STEREO」誌などにレギュラー執筆。ビッグバンド “Shiny Stockings” にサックス奏者として参加。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。